雑談とメタ認知
こんにちは、kanaru_です。
今日は珍しく早起きして、朝活してました。(ただ目が覚めてしまっただけなので寝不足)
朝日が窓から入ってこない部屋に住んでるので、あんまり早起きするメリットを感じないというか……なんか甲斐が無いんですよね。
昔は朝日で起きるなんてこともあって、午前5時がいいんだよな~と語っていたこともありましたが、あの日々が夢のようです。
さて、昨日は思い切って配信で雑談をしてみるという日になりました。
雑談(ひとり)って怖いんですよね。トークテーマを決めていくのも得意ではないので、その場の雰囲気でばたばたと決まっていく感じ。
何度うまくいっても、毎回奇跡としか思っていないので、次こそは躓くのではないか、という不安がいつもあります。
それで言うと昨日も奇跡的につながって楽しくやらせていただきまして、感謝の一言です。
雑談っていわば、手持ちのカードを削っていくような感覚なんですよね。
人生経験という砂の山を切り崩して、調味料をかけながらテンポよく繰り出していくという。
時にはソース焼きみたいな感じで、その場のノリで中身が空っぽなトークで乗り切っちゃうときもありますが。
そういう感じなので、砂山がいつ尽きてしまうのかなとひやひやしています。最近は調味料多めで、味付けを頑張っています。
そんな不安を漏らしていたら「自己肯定感低めかもね~」というコメントがあって、そうだねぇとなりました。
自己肯定感低めのことを考えると、昨日かそこらにTwitterで話題になっていた「メタ認知」のことを思い出します。
メタ認知とは、言ってみれば自分を俯瞰的に見ることで「これに失敗しても死ぬわけじゃない」みたいな客観性のことです。
ただ、そのメタ認知を逃げるための口実に使っていないか?という議論が巻き起こっていました。
自分にとってのメタ認知って最後の一押しなんですよね。
あれをやったら失敗するかも、これは恥ずかしいかも、ダメかもしれない。でもやるしかない。でも……。
そんなときに「大丈夫、失敗しても誰も気にしてない」と最後の一押し。
まあでも疑い深いです。いや、気にしてないわけない。失敗は絶対に引きずる。「いやでも、大丈夫。死ぬわけじゃない」みたいな。
一押しになってないかもしれないですね。ダメ押しなのか、暖簾に腕押しなのか。
それで結局やめることもあるし、やることもある。結果はハーフ&ハーフですが、ないよりは前向きに作用するかなという程度の、私にとっての「メタ認知」です。
メタ認知を十分に発揮している人を見ると羨ましいと思う一方で、それが優位になってほしくないなとも思います。
これに負けたら死ぬ!本当に死ぬ!みたいな気持ちって、行くしかないという気持ちになるんですよね。
それに対するメタ認知は「行ってもよい」という緩やかな追い風のような感じです。
せっかくなら強風に煽られたい人生なので、私は常に視野を狭くしているのが性に合っているのかもしれません。もちろん、心が追い詰められたときにはメタ認知を使い分けるという、そんな感じ。
心が荒む日も多いので、最近は頑張って身につけようとはしていますが、なかなか心の中の頑固者は言うこと聞かないですね。
なぜ目は前についているのか。のび太の名言を思い出します。
今日もイノシシのように突き進むしかない。